ネガってもない

まっすぐ歩けない人間「インレイ」のエッセーです。

友の段

昨夜は、3年振り位に、とある友人とオンライン通話をした。

友人はビデオをオンにしていたけれど、私はビデオはオフのまま。

カメラ付きのモニターが座席から離れているおかげで、背景が広く映る…部屋を片付けたとはいえ、ある程度…端に寄せている物まで入り込んでしまう。

なのでビデオをオフにするばかりか、万が一何かの拍子に映ってしまわない様に、モニター上部のレンズにも紙を貼る徹底振り。

まぁあとは、3年振りということもあって、年齢を感じるなぁ〜別に気にする相手では無いけれど、わざわざ衰えた姿を見せつけなくても良かろう…という意味で。

 

彼とは、何だかんだで14年以上?時々電話やメールで言葉を交わしている。

食事をする事も何度かあったが、片手で数えられる程度だ。

要するに殆ど会わずにただの会話友達なのだが、これが案外居心地が良い。

…会わないから会話じゃない?通話友達か?

でも、それ位が丁度良い友達って、貴重じゃない?

 

ベッタリくっ付いて一緒に行動する友達も大切だとは思うけれど。

都合のいい時だけ、都合のいい事をバーッと一方的に話しても、それが愚痴であったり大問題で人生悩んでしまう様な話でも、それ程嫌な気分にはならず「ま、仕方ないよ〜」とお互いに言い合える友達って、貴重だと思う。

真剣に聴かないわけではない。

例えば話の重みが10kgあったとしたら、2kg位ちゃんと共有して、残りの8kgを「ま〜考えるなとは言わないけどね〜」と影だけ残して重みを消す。

…「薄っぺらい付き合い」、と世間では言うのかもしれないけれど。

でもその位のつきあいが出来る方が、結構貴重で大切だと思ってしまう。

 

薄情かなぁ。

御都合主義と言われてしまってもしょうがないかなぁ。

世間でよく聞くママ友云々やらなんちゃら仲間やら、勿論そういう人もいた方が良いけれど。

数は少なくて充分。

大多数の他人に合わせ過ぎて自分を見失って疲れてしまうよりは、ごく僅かで良いので、自分の事も相手の事もすうっと受け入れられる人がいてくれると、意外と長続きするんですよねぇ。

 

有り難い事に、彼の様に細く長く付き合える貴重で大切な友人が、私には何人かおります。

何人かと言っても、片手で数えても指が余る程です。

エンディングノートには、「色々終わったら伝えて欲しい」リストへ記しておこうと思います。w